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門田隆将『オウム死刑囚 魂の遍歴 井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり』(PHP出版社)

本書は、オウム真理教の幹部で昨年死刑が執行された井上元死刑囚の人生を

本人の手記や家族等との手紙によるやりとりを元に作成されたドキュメンタリーである。


以下において、井上元死刑囚は、井上とする。


著者である門田隆将氏は、新潮社時代からオウム真理教を追い続け、

井上が逮捕、起訴され、死刑判決が下された後も、

その半生(井上は25歳で逮捕され48歳となった昨年2018年に死刑が執行)を

見届けてきた人物であり、井上の最後、死刑が執行され家族の元にその遺体は

返され荼毘に付されるまでを描く。


このドキュメンタリーは、あくまで一死刑囚の生涯を通じオウム真理教という

組織に深く関わった、「青年」を少しずつ丁寧に紐解こうしたにすぎない。


ましてや井上の純粋な反省、苦悩する姿勢の紹介によって、

罪の重さを軽減すべきことを訴えるものではないし、

未曾有の大惨事を起こす一連の過程において、

その存在の大きさを矮小化するものでも全くない。


井上への刑執行は早計だったのか、本当に死刑判決が正しかったのかは

本書の読者の判断に委ねられており、事の成否は本書の核を成す論点ではないからだ。


本書における詳述の1つは、人々の日常に潜む非日常的狂気である。


何気ない日常の中で麻原こと松本元死刑囚の「超能力」に出会い、

その力に魅了されていった結果、井上は松本の内なる渇愛

すなわち際限ない欲望を深く認識しながらも、欲望の中に潜む狂気すら、

否定しきることができなかった。


このことは洗脳という一言で説明できるのかもしれないが、

人は弱く、弱いが故に強い狂気、惨虐性を肯定、

少なくとも黙認することを実証してもいる。


また、本書の視点で大切なのは、大罪を犯した子どもと向き合う両親と、

それを支える仏教関係者、特に最後の10年、井上元死刑囚を見続けた女性僧侶との

深愛なるやりとりに対する記述である。


自分の子どもが大罪を犯したとされるなら親族はどう向き合うのか。


本書では幼少期から青年期、特にオウムに入信するまでと、

1995年の逮捕、収監から死刑判決、そして死刑執行までの家族とのやり取りが

克明にルポされている。

 

その中で紹介されているのは、我が子を断罪しながらも親としてこれまでどう向き合い、

そしてこれからどう向き合っていくのか。

 

父親は、その事を我が子に対して噛み締めるように、手紙を通じ語りかけていく。


そのやり取りは、罪の意識に苦しむ我が子に、許されることのない罪である事を

より強く認識させることで更なる苦しみを与え、同時にそれに親として共に寄り添うことを

宣言し実践していく過程でもある。


自身の苦しみが軽減されることはない、ただ麻原からの呪縛から自らの力で解放し、

他の幹部や世間の批判を浴びようとも真実を明らかにすることで、

二度とこのような非道を起こさせない、その一念である。


父は言う。


未来を奪われた人とその家族のことを思えと。


そして息子が許されることのない罪と向き合い、真実を語ると、

自分も母も信じると。


我が子と向き合う親の姿から感じるところが多い。