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田原総一朗 『創価学会』(毎日新聞出版社)

予め申し上げると、私は創価学会員ではない。

 

創価学会を支持する論考ではないが、偏見を持つべきではないという一考ではある。


かつては互いに厳しく批判することもあった自民公明両党が、手を握ってから20年。本書は、その歴史をジャーナリストである田原総一朗氏がコンパクトにまとめた力作だ。


コンパクトというのは少々語弊があるかもしれない。公明党がどのように自民党と政策的な折り合いをつけながら、時として自民党の政策に対し積極的な「修正をかける」というアプローチをしてきたのか、その歩みを戦後政治の生き字引からもっと詳しく伺いたかった、というのが本音だからだ。

 

それでも、短い本書において、その歩みの総括的な部分は明快に解説されている。


与党の自民党野党第一党社会党が経済成長の利益を分配をする、いわゆる55年体制が崩壊し、非自民によって中選挙区選挙制度が廃止される中、創価学会という絶対的な支持基盤を持つ公明党が、日本政治においてステークホルダーとしての役割を担うようになり、そして、公明党は、政策的にはかつての自民党ハト派の役割を担うようになり、この20年の間に幅広い政策を持った与党が形成されたことをとてもコンパクトに解説している。


本書の前半では、必ずしも平坦ではなかった創価学会の歩みが日本の社会史的な観点から説明されている。


田原総一朗氏は、着実にそして徐々に支持者を増やしてきたという栄光のストーリーではなく、宗教団体としての試練に直面してもなぜ創価学会は衰退することがなかったのか、逆境を乗り越えられたのかという視点から、その実態を分析することで、戦後史における、より現実的な実像を浮かび上がらせようとする。


教祖を崇拝したり、教祖のパワーにより不治の病が治るというような神がかり的な力による救済もない。代わりに、僧の力を借りずに、自助又は共助的な行為によって、自分と他者を救済する道を模索する在家中心の宗教団体として描き出している。


たとえ生きる希望を失った人が、ある教えを信じるようになったとしても、その教え自体がその人を救済してくれるわけではなく、あくまで自助又は共助による実際的な行動によって、その個人の内的救済が充実するという考えがベースにある。創価学会の教えを広めたり、共に悩みを話し合うという行動はまさにそれである。


このことは、私たちが持つ苦しみが消えないことの本源が、外的な条件故に苦しいということ以上に、私たちが内的な条件、すなわち自分の心情故に苦しく、その心情の苦しみとどう向き合うか、どう克服していくかということにあるのと不可分ではない。


行動というものを1つの宗教であるとか、思想であると見なすことも可能というだけのことであり、平和な世を作る教育への熱い思いが1つの運動、そして組織になっただけに過ぎないということである。


偏見なく本書を読み解くことをお勧めしたい。